1965年10月:アメリカ人ジム・ノートン宣教師夫妻が水尾公民館で宣教を開始しました。その後、五十鈴町にプレハブ会堂を作って伝道を進めましたが、健康上の理由のため1969年に帰国されました。(右写真:ノートン宣教師夫妻)
1970年3月:アメリカ人ダン・マカルパイン宣教師夫妻と通訳の菅内啓子師が就任、1971年には、阪急茨木市駅前の太陽神戸銀行(その後、さくら銀行を経て、現在、関西アーバン銀行)地下に会堂を移しました。このころ、宣教と新会堂建設のため英会話教室を開きました。礼拝出席者は増加し、約50名に達しました。(菅内啓子師(左)とマカルパイン宣教師夫妻)
1975年1月に、稲葉町13番地に礼拝出席約50名を収容する新会堂が完成しました.1階は宣教師家族の住居と教会学校、2階が会堂の一戸建て住宅でした。
1975年3月、日本同盟基督教団に加入、4月に、吉持章牧師が就任しました。マカルパイン宣教師は教会を吉持牧師に引き継ぎ、新しい宣教地に移りました。1978年には礼拝堂が狭くなり、日曜日9時と10時半に2回礼拝を行う2部礼拝が始まりました。1981年3月には同じ稲葉町12番地の約100坪の土地に礼拝出席約100名を収容する新会堂が完成しました。旧会堂は教会学校として用いました。(右写真:吉持牧師夫妻)
1981年12月に、茨木聖書教会が宗教法人として認可されました。1984年には、この会堂も狭くなり2部礼拝をすることとなりました。教会は150名を超える規模に成長し、1988年に吉持牧師は笠川牧師に引き継がれました。
1989年1月に、笠川徹三師が就任し、1993年に、水尾2丁目に礼拝出席約250名の現在の会堂が完成しました。
新しい地での開拓伝道活動として、1985年に京都桂伝道(現京都めぐみ教会)、1988年に大和郡山伝道(現大和郡山めぐみ教会)、1993年に箕面伝道(現箕面めぐみ聖書教会)を進めてきました。
2014年4月に現在の吉持日輪生師が就任しました。前任教会での経験を活かし2014年5月より月1回の英語礼拝、2014年11月より児童発達支援・放課後等デイサービスジョイジョイをスタートしました。
このように、茨木聖書教会の歴史は、成長の歴史でもあります。これからもさらにイエス・キリストの福音を宣べつたえる「宣教に生きる教会」「地域に開かれた教会」「神の愛と喜びに溢れる教会」としてさらなる成長をめざしていきます。