クリスチャンの方から、体験談を共有して頂きました。
1.Aさん 50代女性・主婦
2.Oさん 60代男性
3.Oさん 60代女性・主婦
4.Kさん 30代女性・会社員
5.Fさん 20代男性・学生
6.Aさん 50代女性・主婦
7.Tさん 50代女性・主婦
8.Oさん 20代女性・ピアノ教師
1.Tさん 50代女性・主婦
私が最初にキリスト教に出会ったのは、ミッションスクールの中学に入った時でした。クリスチャンになろうと思ったこともあり、キリスト教は、私にとって親しみのあるものでした。このことが根底にあって、ハートフル英会話スクールの関係でバイブルスタディーに参加していました。「ベストセラーの聖書を英語で。」という考えだけで信仰するつもりはありませんでした。しかし「完全な人間は誰一人いない。人は皆、罪を持っている。その罪は、いくら善行しても償えない。イエス・キリストは、人々の罪を救うために十字架上で死なれた。」と知った時、心を動かされました。
今までの自分を考えてみると自己中心であり、素直でなかったり、虚栄心や妬み、憎しみを抱いたり、怒りを覚えたり、自分の言葉で相手を傷つけていたこと、これらすべて罪なのだ、と気がつきました。そして自己嫌悪に陥ったり不安や満ち足りなさを感じるのは、人間の弱さから来るのであり、依存心の強い私には、何か強い確信のあるものが欲しいと思いました。
そんな時、体に卵巣癌が見つかり、クリスチャンになりたいという思いが一層高まってきたので、その意を申し出ました。ところが手術のための入院直前に肺血栓で倒れ、呼吸困難に陥り、命の危機にさらされました。神様は、受洗を果たしてない私をこの世にまだ必要とされたのでしょうか。救ってくださいました。死ぬほど辛い痛み、苦しみの中で「神様、私と共に居て下さい。癒して下さい。」と祈りました。病気になることは不幸なことですが、受洗を決意した私にはむしろ必要だったのかもしれない、と思うようになりました。神と向き合う時間を与えて下さったのですから。
次から次へとやってくる試練の中で聖書は、病気の私を支えてくれました。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」第1ペテロ 5章7節 自分の力ではどうにもならないことはすべて神にお任せすることによって、8ヶ月近くの入院生活に耐えられたことを感謝します。大きなふたつの病を経験し、闇の中から脱出できた私は今、不完全な人間のゆえに持っている罪を謙虚に受け止め、悔い改めたいと思います。